古来より継承された神恩の心と共に、
日本人の真摯な心から生まれたワンオフマフラー、雅-MIYABI。

マスタービルダー 志村雅樹

鉄鋼業での溶接技術を活かし、10代の頃から現在までマフラー制作に取り組んできました。 マフラーというパーツについて日々研究し、試行錯誤を続けてきた当社工場に並ぶワンオフマフラーは造形も美しく、かつ各ユーザーのニーズに応えた芸術作品であると自負しています。 世界に1本しかないマフラーを制作するにあたっては一本一本真剣勝負です。「決して妥協したくない」「必ずユーザーの期待に応えたい」というプライドが私を支えています。

唯一無二
であること。

見えない部分も綺麗なマフラーを作り続ける。

加工方法で変わってくる

マフラーは作る工程での加工方法等によって、仕上がりが大きく変わってきます。現在も日々勉強。他社のマフラーや純正品も参考に勉強しています。マフラーというのは普段は見えない箇所についているものです。でも、だからこそ、せっかく当社でマフラーを作らせてもらえるのあれば、他の業者が車を持ち上げて下を覗いたときに「綺麗なマフラーだな」と思ってもらえるようなプライドを持ちたいと考えています。

マフラーひと筋
このブランドを守り続る

マフラーは実は凄く奥が深いパーツ。だから、決して妥協したくない。

たくさんの人に助けてもらって今の自分がある

実はマフラーに関して誰かに何かを教えてもらった事はなく、今まで全部独学でやってきました。最初は本当に大変でした。思った通りにいかないことばかりで。今は色々な方から沢山助けて頂いており、非常にありがたいなと感じています。お客様だったり、当社を信頼して仕事を頂ける業者さんだったり、溶接技術を教えてもらっている師匠との出会いもありました。無駄な出会いはひとつもなかったなと。

神は細部に宿る

当社の設立経緯から少しお話しさせて下さい。

元々は、先代である父親が鉄鋼業を営んでおり、それが今のマフラー専門の志村工業の前身です。そこから含めると工場自体は三十余年の歴史があります。最初は同じ敷地で先代は鉄鋼業、私はマフラーを専門にして、という様に仕事を分けて作業していました。私のマフラー制作の経験は大体二十数年くらいになります。19歳の頃からずっとマフラーを作ってきましたから随分と長い仕事になりました。小さいころから、父親の影響で車が好きになり、バギーからスタートして、小学生のころにはレーシングカートを始めました。18歳で国内A級ライセンス取得、モータースポーツの奥深さや大変さを知りました。

マフラーを専門でやろうと思ったのは、私がフォーミュラトヨタのドライバーだった時にお世話になっていた人がおり、その方がワンオフマフラーを作っていた事がきっかけです。元々家業が鉄鋼業でしたから、溶接をやっていた事もあり自然な流れでした。現在でも、鉄鋼業のお付き合いで師匠がおり、溶接に関して色々教えてもらっています。

当社では、マフラーのジャンルは問わず、お客様のオーダーに合わせて出来る限り対応しています。意匠(デザイン)、性能、音など、お客様の要望は多種多様です。マフラーで車の性能も大きく変わる為、トータルバランスを考えて制作してます。お客様と相談しながらプロとして適切な回答を心がけています。

しかし、やってみないと分からない部分もあるのがワンオフマフラーであり、実際に作りながら、改良したほうがいい部分が見つかる事も多々あります。制作中に切り替える事もそれなりの頻度で発生します。お客様からの信用を預かっているので、何があっても勝手に何かをしたりしないよう、随時報告をしながらお客様とのコミュニケーションを大切にしています。

お客様がどの様にしたいかがメインにはなってきますが、それに加えて私が今までやってきた事で分かった成功や失敗の経験をしっかり提案として伝え、制作させて頂いています。ワンオフマフラーで悩んでた方が「やっぱり志村工業のワンオフにして本当に良かった」と言ってもらえた時はとても誉な気持ちになります。そんな素敵な経験をこれから積み重ねてゆく事がの当社の目標です。ご縁があればぜひ当社にお声がけください。

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