志村工業を知る

MIZUHO FACTORY

    出典 https://www.town.mizuho.tokyo.jp/

    志村工業MIZUHO FACTORYがある東京都瑞穂町は、江戸時代からの歴史を持つ地域です。かつては農村地帯であり、主に農業が営まれていました。しかし、戦後の都市化により、住宅地や商業施設の建設が進み、現在は住宅地として栄えています。また、交通の利便性も高く、東京都心へのアクセスも良好です。瑞穂町周辺には自然環境も豊かであり、公園や緑地帯も存在しています。地域の文化や伝統も大切にされており、地域の祭りやイベントが開催されることもあります。瑞穂町は、歴史と現代の融合が感じられる地域です。

    東京と埼玉県の境に位置し、緑豊かな地域と志村工業のような工場や大型の企業工場が融合した町です。また米軍横田基地にも隣接しており、アメリカ文化の影響も色濃く受けています。最寄駅である箱根ヶ崎駅には近年までディーゼル電車が走っており、鉄道ファンにはよく知られた駅でした。

    昭和15年、当時、日本が創られて2600年目にあたるということで、全国的にお祝いが行われていました。これを記念して、市町村の合併が進められ、新たな市や町が誕生していました。そのような情勢の中で瑞穂町も、箱根ケ崎村、石畑村、殿ケ谷村、長岡村を合併して町制を施行することになりました。

    しかし、町名は、なかなか決まらなかったため、当時の岡田周造東京府知事に命名を一任することにしました。岡田府知事は、日本の美称である「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらの ちいおあきの みずほのくに)」から「瑞穂町」と名付けました。昭和15年、箱根ケ崎村外三ヶ村組合は町政を施行し、東京府知事より町名を拝命し、西多摩郡瑞穂町となります。

    太平洋戦争中の昭和18年には、東京府は都制を施行し、瑞穂町も東京都の所管となりました。

    それまで、多摩一帯では、綿織物が生産されていましたが、大正年間に都市部での絹織物人気の高まると、現武蔵村山市で群馬県伊勢崎から板締め染色法が導入され、絹織物の村山大島紬が開発されました。隣接する瑞穂町域でも絹織物生産が盛んとなりました。村山大島紬は、家内制手工業の形態で生産されたため、当時瑞穂町内では、たいていの家から機織りをする音が聞こえたものでした。

    なお、瑞穂小史には、「瑞穂という名称には、格別の由来はなく、旧来の各村名にかかわりを持たぬ、豊穣を意味する縁起の良い美名が選ばれたもので、命名は時の東京府知事 岡田周造であった。」と記されています。

    その後、昭和33年に埼玉県元狭山村の一部と合併し、現在の町域となりました。

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